まやまやのひきこもり脱出記

ひきこもり脱出記

ひきこもり脱出記〜人に会いたいのに怖くて会えない

人生の転機となる小説家との出会い


 机上での勉強が全く手につかなくなり自分を疎ましくさえ思っていた私は、ある小説家の逝去をテレビで知り、その日からその人の書籍を読み漁るようになりました。狐狸庵先生こと遠藤周作さんの作品です。
 受験勉強には全く集中できないのに、遠藤周作さんの本なら何冊でも、何時間でも読むことができました。初めて手に取った本は「生き上手死に上手」というエッセイ集でした。
 人前ではとてもユーモア溢れ明るい遠藤先生の書籍には、真逆の内面の葛藤や苦しみ、悩みが赤裸々に綴られていました。生まれながらにクリスチャンの家庭に育ったが故の違和感、肺結核に苦しむ中で隣り合わせだった死への恐怖、小説家としての孤独‥と、気安く人には話せない深く重い話題でてんこ盛りです。
 70年以上生きていて、小説家として地位も名誉も手に入れた人なのに、こんなに毎日、劣等感や弱さに苦しみ、何かに迷い、答えを求め、自問自答しているのか。大人は何もかも答えを持っていて立派に生きている、と単純に思い込んでいた18歳の私にとって、全てが衝撃的でした。

本当は人に会いたい、人と話したい、深く関わりたい


 私の周りには、友人も家族も、これほど深い内容の話題を共有できる人がいませんでした。いや、深い話題を切り出しただけでも、相手に狼狽されたり疎ましい態度をとられることに傷づき申し訳なく思うだけなので、敢えて避けていました。誰にも問うてはいけない、答えを求めてはいけない孤独に、必死に耐えていました。
 やるべきことが何もできない、家族や周囲の人の期待に応えられない、そんな思いから、自分が生きていることに価値や意義を感じられず、存在すること自体申し訳なく思い苦しんでいたので、遠藤先生の本を読むことは自分にとって唯一の赦しの時間でした。私の本当に質問したい問いに応えてもらっているような、対話をしているような気になれたからです。
 本当は人に会って、人を話したいのに、話したい話題が重すぎるし、それを話した時の人の反応がすごく怖かったので、当時は人に会えませんでした。人に受け入れてもらえない孤独。目を合わせて話すことも恐怖でした。自分の内面の葛藤や、畏れが(あり得ないのに)見透かされるんじゃないか、考えていることがバレるんじゃないか。今思えば、完全に挙動不審な内面心理ですが、毎日恐怖すぎて、家の外に出ることも恐怖になりました。アパートの前に(誰にも会わないように)走ってゴミを出すのが関の山でした。誰かに挨拶されるだけでも、びくついて一言挨拶を返すだけで、そそくさと家の中に戻ったものです。

遠藤先生のテーマ 愛するとは‥

 遠藤先生の生涯のテーマに「愛するとは‥」というものがあります。当時18歳の若造の私は、愛するということは何か映画のテーマのような大それたことを期待していました。体当たりで、時には自分の人生を賭けて、大博打に出るような壮絶なことをすることだろう、と。
 でも違いました。遠藤先生の導き出した解は
「愛するとは、許すこと。」
でした。

じゃあ、浮気されて許すのも愛なんだ‥
なんだか、想像したよりすごくちっぽけなことで、肩透かしをもらったような気がして、当時は納得がいきませんでした。
 でも、今なら40年以上生きてきて納得できます。
本当に深い愛情を持っていたら、相手の裏切りすらも裏切りではない。
間違いも含めて、誰かを包み込む大きな存在であること、これが愛するということ。
 遠藤先生は、生まれながらにクリスチャンであることに違和感を拭えないながらも、自分の弱さ、死の恐怖を感じるたびに、腹落ちしないキリストに心の中で助けを求め、赦しを乞い続けて生きていました。

自分を愛するとは

 よく、自己啓発やスピリチュアルの本では「もっと自分を愛しましょう」と謳われています。じゃあ、自分を愛するってどういうことだろう、と思いますよね。甘やかすこと?好きなことをすること?自分を好きになること?
 遠藤先生の解から考えると、
自分を愛するとは、自分を許すこと
になります。几帳面な人、うつ病の人は、往々に自分を責めています。
もっとできるはずだ。ちゃんとやらなければ。今までの自分なら普通にできた。他の人はもっとできるのにできない自分は情けない。できない自分は他の人に迷惑をかけている。迷惑をかける自分なんて存在しない方がいい。
だから、思考を塗り変える必要があります。
 できない自分も自分。ちゃんとできない時もある。生きていれば迷惑をかけることもある。そもそも本当に他の人の迷惑になっているのか。
 自分にすら愛されない自分って、他の人に愛されないんじゃないか。つまり自分のことすら許せなかったら、他の人はまして許せないんじゃないか。
孤独と苦しみから逃れるには、自分も他者も許せる寛容さとおおらかな心を持てるようにならないといけない。

 大好きなピアニストのフジコ・ヘミングさんの言葉に
「人生とは時間をかけて私を愛する旅」
という言葉があります。自分のことが嫌いで苦しんだ人も、残りの時間をかけて自分を許し、昨日より少しでも自分を愛することができるようになれば、少しでも心が楽になります。いつからでも遅くありません。気づいたその日から、はじめていけばいい。許し方がわからない、という人は、過去に同じようなことで苦しんだ人の軌跡に触れてみるのも良いと思います。片っ端から、自己問答して、全力で許すよう考えを塗り替える練習をするのも良いと思います。今、まさに苦しんでいてこの記事を読んで下さっている方、応援いたします。


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