まやまやのひきこもり脱出記

ひきこもり脱出記

ひきこもり脱出記~苦しいけど死にたいわけではない

 

毎日死にたいと思う

身体が鉛のように重く、頭は同じことばかりぐるぐる考えてぼんやりしている。
目の前の勉強をやろうとしても、何も頭に入っていかない。
やるべきことが何もできなくて、自責の時間が延々と続く。
とにかく、苦しい。
深い海に潜らされて、全身でもがいても、少しも浮上しない。ただただ無力に遠い海面を諦めて眺めるような心持ちだ。
毎日常に考えてしまう。
死にたい。死んだらきっと楽になれる。

 

死ぬには覚悟がいる

ある日、私は家族がみんな出払った昼下がりに、台所で立ち尽くしていた。
右手に包丁を持って、左手首をじっと眺めて。
実行はしないまま、色々と考えを巡らせる。
自死する瞬間の心境を想像してみる。
手首の表層には硬い腱があるから、かなり強い力で切らないと動脈に達しない。だからためらい傷で終る人が多いんだな。
私には今、一思いに切り込む勇気があるだろうか。
もし、今実行したら、本当に終わりで、この私の意識もその瞬間にこの世から消えるんだ。
後悔を感じることもなく終るんだ。
もしも、今の辛い時期を乗り越えたら、楽しい未来が待っているかもしれないけど、それは見られないんだ。
もし生き続けたら会うかもしれない素敵な人に、出逢うことなく、ここで本当に全てが終るんだ。
今、確かに辛くて仕方ないけど、他に選択肢はないのだろうか。
全てを終わりにしても良いと思えるほど、果たして私は全ての方法を試したのだろうか。
私の生き方は今のこの一通りしかないのだろうか。
色々と考えたら、まだ実行するには早いように思えた。
もう少し生きてみる。

 

死ぬ自由

いつか、もう本当に耐え難いほど辛くなったら、死んじゃえばいい。
死ぬ方法を散々考えた挙げ句、ふとそう考えたら、少しだけ気持ちが楽になった。
倫理的な問題を度外視すれば、人には死ぬ自由はある。
死んでもいいという考えは、毎日苦しんでいる人にとって、ある意味、「何もかも放り出していい」という慰めでもある。

 

「死にたい」の根底の心理

私の場合、「死にたい」というのは、本当に自死したいというよりは、苦しみを逃れたい、というのが本音でした。
もし、今の苦しみを抜け出せたら、もし、誰か親身に寄り添って支えたり問題を解決してくれる人が現れたら…それでも私は死を選ぶだろうか。
いや、間違いなく生きることを選ぶ、と思いました。
「死にたい」という思いは私の心が、全力で挙げているSOS信号に他なりません。
今の生き方を続けるのは、もう無理、と。

 

死なないでほしい

「死なないでほしい」
精神科で診察中に、先生から言われて、ドキっとしたことがあります。
家族からも、誰からも「生きていてほしい」なんて言われたことがなかったからです。
私は、強迫性障害の母から物心つく前から
「結婚してすぐにあなた達が産まれたから、家計が苦しい」
「あなたたちがいるから、別れたくても離婚できない」
と言われ続けて育ったので、自分なんていないほうがいいのだろうとずっと思っていました。
そういえば、友人とも、他の大人とも、私が存在する(というあまりにも根元的な)ことについて話したことなんてありませんでした。
そうか、今日会ったばかりの先生ですらも、私が死んだら悲しいんだ。死ぬということは、そんなに他者に影響することなんだ…


「死んでもいいけど、死んじゃだめ」

チャット相談窓口 "あなたの居場所"を運営する大空幸星さんの言葉です。
心を病む人は、自分の存在価値を信じられないほど低く見積りがちです。
生きる価値がないと思っているのは自分だけです。
死ぬしか方法がない、と考えているのは自分だけです。
世の中には、色んなリソース・知恵・ネットワークを持つ人が沢山います。
自分一人では解決できないことでも、誰かの支援で解決策が見つかるかもしれません。
そもそも、心身共に疲れきって、まともに思考ができない時に、死ぬという重大な決断をしてはいけないのです。

 

勇気を出し、そして信じてみる

毎日、死にたいと考えてしまうなら、迷わずすぐに精神科を受診してください。
新患はなかなか初回予約がとれないので、1日も早く病院に問い合わせてください。
今日明日にでも死にたいという衝動がおさえられない場合は、病院か保健所、無理なら何らかの相談窓口に、すぐにそのまま伝えてください。
精神科で出される薬が効き始めるのは早くて2週間後で、基本的には月単位の治療になると考えた方が良いです。向精神薬は一般薬のような即効性はありません。
また、薬との相性や副作用があるので、その都度変えたり調整しながら、服薬を継続することになります。
最初は効果が感じられず、気持ちが焦るかもしれませんが、まずは主治医を信じて止めずに服薬してください。薬のことで不安があれば、薬剤師に相談するのも良いです。
精神科医によると、回復しようと焦る人ほど治りが遅い傾向があるようです。治療のことはプロに任せ、先生に言われたことはしっかり守る。それだけで十分です。
生活上の不安がある場合は、必ず誰かに相談してください。身内が難しければ公的機関にも頼ってください。
死にたいくらいに思いつめている人は、もう十分一人で抱えて頑張ってきました。頼れる他人は、全て頼りましょう。
とにかくしっかり脳と身体を休め、自分の命を守ることに専心してください。

 

 

#うつ病 #ひきこもり #心の病気 #生きづらさ #HSP #繊細さん

ひきこもり脱出記〜昼夜逆転

 

朝は罪悪感の時間


 朝、皆んなが学校や職場へ出ていく時間は罪悪感を感じる時間だった。昨日も何も手につかずに一日終わってしまった自分への嫌悪感や落胆のまま朝を迎えた上に、全く無気力で何もする気が起きないからだ。慌ただしく出掛けていく人たちとは全く逆行した心理。家族がみんな出かけてしまうまでは心はどんよりとしているのに、同時にそわそわもしてしている。
 たくさんやるべきことがあるのに、きっと今日も何も手につかない。今日もまた、やらねばという強迫観念と、できないという敗北感の葛藤を自分の心の中で繰り返すのだ。考えるだけでうんざりしてしまう。家族がみんな出かけた安堵感も手伝って、弱い自分への嫌悪感と共に、強烈な眠気が誘ってくる。

夜の暗さに安堵する
 あたりが暗くなってくると、少しずつ気持ちが落ち着いてくる。(自分は何も労働していないけど)夜は人にとって休息の時間だから。頑張らなくていい時間は、朝のようには強迫観念を押し付けてこない。気分が良くなるせいか、夜になると今度は頭が冴えてしまって眠れない。昼間何も活動せず疲れていないのだから、眠れないのは当たり前なのだけれど、眠れないことに動揺し、眠ろうとする戦いが一晩中続く。結局、ほとんど眠れず朝を迎え、入眠困難による疲労とまた一日が始まってしまったという焦燥感により、最悪の気分の朝を迎える。昼夜逆転とはエンドレスなこのような葛藤の無限繰り返しの賜物だ。
 これでは社会の中で活動していくことはできない。生活時間軸そのものが社会から脱線している。よく夜中に、熟睡している家族を眺めて、何にも考えずによく眠れるということは、なんて羨ましいことだろうと毎晩思っていた。


無謀な事前調整


 浪人生だから、たとえ勉強していなくても、カムフラージュとして数ヶ月に一回、朝から夜までぶっ通しの合同模試を受けなければいけない。模試の1週間前くらいから、懸命に夜行性生活から朝型生活に戻そうとするが、上手くいくはずもない。暴飲暴食をしている大人が健康診断の1週間前だけ急に健康な生活に切り替えるようなものだ。模試当日は、良い点数を出さなければ、というプレッシャーからアドレナリンは全開なのに(いや全開だからむしろショートしてしまった?)、問題が解けないという焦りから、模試会場では強烈な眠気が襲ってくる。そんな自分がさらに嫌になる。毎回、模試はそんな感じで撃沈に終わっていた。


睡眠導入剤


 睡眠導入剤を2〜3種類処方してもらったことがあるが、自分に合った薬に出会うことができなかった。眠剤を使うことと、薬が効かないということに何故か罪悪感のような恥のようなものを感じていて、効き目についてほとんど主治医に相談しなかったのが良くなかった。
 睡眠障害には複数のタイプがあって、寝付けないのか、寝付けても途中で目が覚めたり早く目が覚めるのか、全く眠れないのか、パターンによって適した薬も変わってくる。眠剤を使う方は、自分の現在の睡眠状態と薬の効き目について、詳細に医師に説明して、一緒に合う薬を探すことをお勧めいたします。


朝散歩のすすめ


 メンタル疾患の人には特に、朝散歩が良いと言われている。朝、起きて1時間以内に太陽を浴びて歩くとセロトニンの分泌が促され、心身ともに目覚めると言われている。体内時計がリセットされ、朝はセロトニンが、夜はメラトニンが分泌され覚醒と睡眠のリズムが整うようになる。セロトニンは精神の安定(ネガティブ感情の抑制)にも関係している。
 うつ病がひどい時ほど、外に出て歩く、ましてや朝から散歩、という発想がない。特に、外に出る目的などなくて良い。とにかく起きてから1時間以内に外に出て日光を浴びて歩くということが肝心だ。最初は憂鬱すぎて動く気がしないかもしれない。もし難しい人は、ベランダに出て5分、日に当たるだけでも良い。少しずつ時間と動く量を増やしていけば良い。散歩といってもそんなに気合を入れて長時間行う必要はない。せいぜい15分で良い。とにかく、何も考えずに身体を動かしてみることが大事だ。
 朝の空気は綺麗かもしれない。空の色や木々の緑は鮮やかかもしれない。鳥がピュリと鳴きながら忙しいそうに飛んでいるかもしれない。家の中とは違う、何か新鮮なものが待っている。私はうつ病が本当にひどかった頃は何日も家から一歩も出なかったので、久しぶりに外に出た時は、外気の匂い、外気が頬に当たる感触にハッとしたものだ。外界は家の中のいつも変わらない淀んだ空気の空間とは違い、1秒ごとに何もかもが動いている。


今日一日、起きて眠れて無事に終われれば良い

 一日中、やるべきことが何もできない日があるかもしれない。でもそれでいいじゃないか。そんな日もある。うつは心の風邪のようなもの、と言われている。きつい時は休むしかない。風邪で寝込んでいる人に、起きて仕事しろと叱責する人はいない(サイコパスでない限り)。
 やるべきことができていないと自責の念に駆られ焦るほど、セロトニンのバランスが崩れ、ネガティブ感情が増大し、ますますやるべきことに手がつかなくなる。言わば、自分で自分を苦しめる無限ループだ。
 「まあ、いいじゃないか」と自分で自分を解放することも時には大事だ。他人が言ってくれないなら、尚更、自分で自分に言ってあげよう。

#うつ病 #ひきこもり #心の病気 #生きづらさ #HSP #繊細さん #睡眠障害

 

 

 

 

 

 

 

 

ひきこもり脱出記〜身体を疲れさせる効用

生粋の文化系(not 体育系)


 私は小中高全て文化系の部活動をしてきた上に、趣味も全部インドアで、全く運動をする習慣がありませんでした。起きている間は頭はフル回転で常に何かを考えていました。自分のこと、家族のこと、友人のこと、勉強のこと、将来のこと‥楽しいことならまだいいのですが、楽しくないことを、同じ視点で何度も何度もぐるぐると考えてました。
 不確定なことを何度考えても、何かが変わるわけでもなく、考えれば考えるほど、自分は恵まれない環境下の不幸な人間に思えていました。ただただじっと座って不幸を噛み締めているだけでした。そして体重と皮下脂肪は増えていくだけ‥


運動とは専心の連続


 ひきこもりを脱した後、ボールルームダンスに興味を持ち、扁平足なのに7センチのヒールを履いて踊ってみることにしました。ワルツを優雅に踊れるようになりたい。その一心で始めました。それまで運動経験ゼロだったので、初めは動かず立っていることも、真っ直ぐ歩くのも一苦労でした。
 身体を使うということは、ひとつひとつに専心を必要とする作業でした。
姿勢を保つ感覚に集中すること、重心がどこにあるのか意識すること、どの筋肉をどれくらいの力で動かすのか制御するのか、目線や表情はどのように保つのか。一秒だって気を抜く暇はありません。
 でも考えて動いていると、先生から「機械みたいだ」「全く楽しそうに見えない」「頭で考えずに動け」とお叱りを受けます。意識すれば意識するほど動きがガチガチになります。
 機械のような動きにならないためには、千本ノックのように、何度も何度も練習あるのみです。とにかく骨と筋肉と脳みそが動きを覚えるまで、馬鹿みたいに繰り返します。
 そうすると、できるようになる瞬間が現れるようになります。ボールルームダンスではムーブメントと呼ぶのですが、遠心力や振り子の原理を使って、脱力した瞬間に身体がフワッと美しい軌道を描いて余韻を感じることができるようになります。高校時代、物理学の運動方程式や公式の美しさや完璧さに恍惚を感じるほどだった私は、数式を自分の身体で実現したことに感動を覚えたものです。はっきり言って変態ですが、踊るたびに感動していました。多分、生まれつき運動能力の高い人は、幼少期から無意識に身体をハンドリングしているのでこんなしょうもないことで感動しないでしょう。

 

考えている暇なんてない


 ボールルームダンスを始めたら、自分があまりにも運動音痴で、平衡感覚も筋力も何もかも足りないことに気づきました。クラシックバレエ、ジムでの筋トレ、ジョギング、とありとあらゆることを始めました。
 自分の身体(筋肉)に集中している時は、何かを考える暇なんてありません。全力疾走でジョギングしている時、ジムで限界の最後の1セットをしている時に、かつて家でじっと座って考えていたような細々とした事ごとを思い出す余裕なんてありません。ただ今やっている、20回目の腹筋をやり遂げることしか考えていません。

 

今、目の前のことに集中する

 

 ひきこもっている時は、過去・現在・未来を考える比重は過去と未来でほとんど占められていました。現在を考える隙がないほどに。

 過去のことはいくら考えても何も変わりません。昔は懐かしむか、後悔するかのどちらかくらいです。過去は経験から現在の行動に繋ぐためだけに振り返るべきです。また、未来のことを考えすぎるのは良くありません。なりたい未来を思い描いたら、そこから逆算して今何をすべきか、今どうあるべきかという思考にエネルギーを注ぐべきです。
 何かのせいで心が乱れてきたら、今、目の前のことに集中する、ようにしています。
 眠りにつく時に、今日あった嫌なことが走馬灯のように思い出される時は、自分の心臓の鼓動に意識を集中してみます。私はこんなに嫌なことに飲みこまれて死にたいくらいの気持ちでいるけど、私の身体は何も考えず一心不乱に規則正しく心臓のポンプを動かしてくれている。休まずに働いて私を生かそうとしてくれている。心疾患にならない限り、私が止めようとしない限り、100年近く心臓は健気にこの動きを止めようとしない。生きているってそういうことなのだ。

考えることに疲れたら
 四六時中考えることに疲れたら、なんでもいいから身体を動かしてみてほしい。運動が苦手なら早歩きでいい。人に会うのが怖いなら、サングラスと帽子で人の視線に晒されないようにすればいい。できたら、朝か昼、太陽が出ている時に外に出てみてください。歩く範囲に、木々や花、鳥や犬猫、何か自然や動物に出会うと尚良いです。
 自然は何も考えずに、今日も生の営みを繰り返しています。春がきたから芽吹く、夏が来たから葉を拡げる。秋と冬は次の春に向けての準備期間。動物は、本能のままに活動しています。お腹が空いたら食べ物を探すし、怒ったら吠えたり引っ掻きます。人間の感情とは無縁の世界。
 自分の頭の中を占めている考え事は、自分の中だけの出来事や事件にすぎないと気づきます。
 歩く時、走る時、自分の足裏のどこがどのように地面を捉えているか集中してみます。重心は足裏のどこに集中しているか、歩幅は大きいか。呼吸は多いか。手はしっかり振っているか。
 自分の身体に集中して、自分の身体と対話してみてください。頭だけではなく指先まで全部の身体を意識してみてください。そして、今日も故障なく働いてくれていることは当たり前ではないことにも思いを馳せてみてください。自分というものの捉え方が少し変わってくるはずです。

#うつ病 #ひきこもり #心の病気 #生きづらさ #HSP #繊細さん

 

 

ひきこもり脱出記〜人に会いたいのに怖くて会えない

人生の転機となる小説家との出会い


 机上での勉強が全く手につかなくなり自分を疎ましくさえ思っていた私は、ある小説家の逝去をテレビで知り、その日からその人の書籍を読み漁るようになりました。狐狸庵先生こと遠藤周作さんの作品です。
 受験勉強には全く集中できないのに、遠藤周作さんの本なら何冊でも、何時間でも読むことができました。初めて手に取った本は「生き上手死に上手」というエッセイ集でした。
 人前ではとてもユーモア溢れ明るい遠藤先生の書籍には、真逆の内面の葛藤や苦しみ、悩みが赤裸々に綴られていました。生まれながらにクリスチャンの家庭に育ったが故の違和感、肺結核に苦しむ中で隣り合わせだった死への恐怖、小説家としての孤独‥と、気安く人には話せない深く重い話題でてんこ盛りです。
 70年以上生きていて、小説家として地位も名誉も手に入れた人なのに、こんなに毎日、劣等感や弱さに苦しみ、何かに迷い、答えを求め、自問自答しているのか。大人は何もかも答えを持っていて立派に生きている、と単純に思い込んでいた18歳の私にとって、全てが衝撃的でした。

本当は人に会いたい、人と話したい、深く関わりたい


 私の周りには、友人も家族も、これほど深い内容の話題を共有できる人がいませんでした。いや、深い話題を切り出しただけでも、相手に狼狽されたり疎ましい態度をとられることに傷づき申し訳なく思うだけなので、敢えて避けていました。誰にも問うてはいけない、答えを求めてはいけない孤独に、必死に耐えていました。
 やるべきことが何もできない、家族や周囲の人の期待に応えられない、そんな思いから、自分が生きていることに価値や意義を感じられず、存在すること自体申し訳なく思い苦しんでいたので、遠藤先生の本を読むことは自分にとって唯一の赦しの時間でした。私の本当に質問したい問いに応えてもらっているような、対話をしているような気になれたからです。
 本当は人に会って、人を話したいのに、話したい話題が重すぎるし、それを話した時の人の反応がすごく怖かったので、当時は人に会えませんでした。人に受け入れてもらえない孤独。目を合わせて話すことも恐怖でした。自分の内面の葛藤や、畏れが(あり得ないのに)見透かされるんじゃないか、考えていることがバレるんじゃないか。今思えば、完全に挙動不審な内面心理ですが、毎日恐怖すぎて、家の外に出ることも恐怖になりました。アパートの前に(誰にも会わないように)走ってゴミを出すのが関の山でした。誰かに挨拶されるだけでも、びくついて一言挨拶を返すだけで、そそくさと家の中に戻ったものです。

遠藤先生のテーマ 愛するとは‥

 遠藤先生の生涯のテーマに「愛するとは‥」というものがあります。当時18歳の若造の私は、愛するということは何か映画のテーマのような大それたことを期待していました。体当たりで、時には自分の人生を賭けて、大博打に出るような壮絶なことをすることだろう、と。
 でも違いました。遠藤先生の導き出した解は
「愛するとは、許すこと。」
でした。

じゃあ、浮気されて許すのも愛なんだ‥
なんだか、想像したよりすごくちっぽけなことで、肩透かしをもらったような気がして、当時は納得がいきませんでした。
 でも、今なら40年以上生きてきて納得できます。
本当に深い愛情を持っていたら、相手の裏切りすらも裏切りではない。
間違いも含めて、誰かを包み込む大きな存在であること、これが愛するということ。
 遠藤先生は、生まれながらにクリスチャンであることに違和感を拭えないながらも、自分の弱さ、死の恐怖を感じるたびに、腹落ちしないキリストに心の中で助けを求め、赦しを乞い続けて生きていました。

自分を愛するとは

 よく、自己啓発やスピリチュアルの本では「もっと自分を愛しましょう」と謳われています。じゃあ、自分を愛するってどういうことだろう、と思いますよね。甘やかすこと?好きなことをすること?自分を好きになること?
 遠藤先生の解から考えると、
自分を愛するとは、自分を許すこと
になります。几帳面な人、うつ病の人は、往々に自分を責めています。
もっとできるはずだ。ちゃんとやらなければ。今までの自分なら普通にできた。他の人はもっとできるのにできない自分は情けない。できない自分は他の人に迷惑をかけている。迷惑をかける自分なんて存在しない方がいい。
だから、思考を塗り変える必要があります。
 できない自分も自分。ちゃんとできない時もある。生きていれば迷惑をかけることもある。そもそも本当に他の人の迷惑になっているのか。
 自分にすら愛されない自分って、他の人に愛されないんじゃないか。つまり自分のことすら許せなかったら、他の人はまして許せないんじゃないか。
孤独と苦しみから逃れるには、自分も他者も許せる寛容さとおおらかな心を持てるようにならないといけない。

 大好きなピアニストのフジコ・ヘミングさんの言葉に
「人生とは時間をかけて私を愛する旅」
という言葉があります。自分のことが嫌いで苦しんだ人も、残りの時間をかけて自分を許し、昨日より少しでも自分を愛することができるようになれば、少しでも心が楽になります。いつからでも遅くありません。気づいたその日から、はじめていけばいい。許し方がわからない、という人は、過去に同じようなことで苦しんだ人の軌跡に触れてみるのも良いと思います。片っ端から、自己問答して、全力で許すよう考えを塗り替える練習をするのも良いと思います。今、まさに苦しんでいてこの記事を読んで下さっている方、応援いたします。


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ひきこもり脱出記~部屋中をうろうろせずにはいられない

私の中だけで起こった衝撃的な変化


 家族がみんな出かけると、私は途端に1LDKの狭い仮住まいの中を、端から端まで、ひたすらぐるぐると何週も歩き回りました。決して楽しくてやっているのではないのですが、立ち止まると恐怖が襲って来るからです。その恐怖とは何かと言うと

今までふつうにできたことが、ふつうにできなくなったという恐怖です。
自分を意志で制御できなくなってしまった。
例え、どんなに意識しても努力しても。
焦れば焦るほど、どんどん何も手につかなくなっていき、さらに恐怖が強くなります。


 当時、私は宅浪1年目でした。5教科7科目、やらなければいけないことは山程あります。1日だって1分だって無駄にはできない。それなのに、勉強を始めても、30分すら続かない。いや、5分、10分すらも続けられない。以前は時間を忘れて5時間でも6時間でも続けられたのに。自分というものが信じられなく、情けなくなっていきます。私はなんて意志が弱いのだろう、と。
 
 自分にとっては圧倒されるくらい衝撃的な出来事ですが、所詮全て私の内部で起こっていることなので誰にも打ち明けることはできませんでした。だから、家族がいる時は、勉強机に座り勉強しているフリをしていました。本当はじっと座っていることすら苦痛ですが、必死でカムフラージュしていました。
 当時は家庭の事情で都会から1万キロほど地方に転居したばかりでしたし、同級生は皆進学して楽しい大学生活を送っており、相談する気になれませんでした。まだインターネットは全く普及しておらず、SNSで気軽に誰かに相談することもできませんでした。
 家の中を歩き回るという行動は一年近くずっと続きました。私にとってこの行動は、心の中で渦巻く泣きたいくらいの恐怖と、発狂しそうなのに発狂できない苦しさをやり過ごす唯一の手段でした。

もし今の私が当時の私に声をかけるなら


「一旦、全て投げ出して、休んでみたらいいんじゃない?」
と言います。

 真面目な人、几帳面な人、完璧主義な人ほど、意識的に休むべきです。
 当時は、あまりにも環境の変化が多すぎました。転居、高校卒業、浪人、家庭内の経済不安と不和、慣れない土地の風土と方言、などなど。最初の数ヶ月は緊張感と気分の高揚で、アドレナリン全開で変化に適応しましたが、表面的なものでした。心身ともに「もう無理、キャパオーバー!」と悲鳴を上げた結果「やるべきことに集中できない」というわかりやすい警告シグナルとなって自分を全力でストップさせようとしたのでしょう。
 人は持てる胆力の全てを使い切った時、壊れてしまわないために一旦休止して頭も体もリセットする必要があります。
 最低限の衣食住以外、とにかくやるべきことを何もしない。気力がもし少し残っているなら、本当に好きなこと・やりたいことだけをして自分を甘やかしてください。まずは1週間休止してみる。それでも足りなければ飽きるまで休止してみる。ぼぉっとすることは無駄な時間に見えますが、頭の中では高度な処理(記憶や思考の整理)がされる貴重な時間と言われています。
 あなたの心の状態はあなたにしかわかりませんし、自分の心を守れるのは自分だけです。矛盾した響きですが、心を鬼にしてとにかく休んでください。

今の私が考える当時の警告シグナルの意味 


別の角度から考えると、このやるべきことに集中できないと言う”警告シグナル”は

今のあなたの考え方や思考の枠組みのままだと前に進めません。この先乗り越えられません。

という、当時の自分の考え方の見直しを問う、本能的な直感でもありました。

 

 #うつ病 #ひきこもり #心の病気 #生きづらさ #HSP #繊細さん